本国アンバサダー
DATE :
引っ越したこの家と新しい裏庭。それと、友だちが死んでいること。友達のために墓石を作ろうと思ったことなんてなかったけど、今は本当に制作してるんだ。死という刺激を受けて生まれた、新しい試みだね。
いろんなインタビューで『エルム街の悪夢』のフレディ・クルーガーと100万回くらい答えてきたけど、他にも考えてみようか。ええと、『Pet Sematary』の猫かな。猫が本当に嫌いなんだけど、あいつはいい子だ。
おそらくまだ見に行くことができるのは、2002年か2003年のものかな。プロスペクトパークか、ブッシュウィックのブラウンストーンの周辺だよ。あるいはブルックリンや、地下鉄が走るアンダーグラウンドのどこかでもみれるはずさ。
オーストラリアのシドニー。長く暮らしてたから、その年数分たくさんの絵画を制作したね。目を覚ましてペイントするだけの、シンプルな生活だったよ。正確にはキングスクロスだけど。グラフィティに関しては、メキシコシティー、日本、ベトナムかな。特にベトナムは最高だよ。売春婦やスクーターに乗る人々に夢中だったね。彼らが俺のペイントを気にすることはなかったけどさ。
兄弟のボードはRoskoppやHosoiのボード、Corey O’Brienのボードのようなものでした。 80年代に人気があったものは何でも使ってたかな。俺が乗っていたプロモデルは…うーん。スポーツ用品店のようなスケートショップからたくさんのボードを盗んだのは覚えてるけどね。サーフする場所もないのに、サーフボードを売っている馬鹿なスポーツ用品店があったんだ。その中でも、Tony Trujilloボード、フラミンゴのAnti-Heroボードを盗んだのは記憶にあるね。けれど、俺は自分でボードを作ってたよ。ブランクを購入して、そこにペイントしていたかな。
このウェブサイトをぜひチェックしてほしいかな。リンクはこれ、www.google.com。画像をクリックするか、リンクをクリックするだけで簡単にアクセスできるよ。おそらく、俺が参加している中でも、一番人気のあるウェブサイトの1つじゃないかな。本当にたくさんのアーカイブがあるし、まあそこに載ってる大体は本当さ。